<代表 高野良一のプロフィール>

無線局(JR1SUR)を開局したのは53年前、電信を始めて50年になりました。 

 

始めた当初は、世界の見知らぬ人たちと

意思の疎通ができることが楽しかった。

今では、国内の同年代の方々と

符号という特殊な伝える技術で共感し合えること

夢中になれることが楽しく、こんなに長い期間続けてこれたんだと思います。

 

電信を打つ技術、読み取る技術は、続けないと衰える

外国語を学び、意思の疎通をするのとかわりがないかもしれません。

 

始めた頃は、市販の電鍵を使っていましたが、

エレキー用パドルは当初から自作して使っていました。

 

気に入ったものを作りたいとの思いは、当初から思い続けていました。

 

市販のものは、物足りないというかシックリ来なかったんです。

自分で作ったものっていうのは愛着があるじゃないですか〜

 

皆さんにもその気持ちを味わってもらいたい。

アイデアのある人、こんな形のものが欲しいなとか

ここがこういう状態だったらいいなとか

思いはあるけど、なかなか技術の伴わない方が多いかと思います。

 

私は創業66周年になる「高野製作所」で約40年間技術を学び、

製品を作り続けてきた経験と、設備を持っています。

 

夢の実現のお手伝いが出来る!

と思っています。

 

今まで下請けとして、部品を作ってきました。

ひたすら

図面に忠実に、寸分の狂いも無く作ること

を続けてきました。

 

だからこそ

製品を作り上げる!

自分のオリジナルの製品を世の中に出したい!

という夢を持ち続けてきました。

 

私も一般の企業でいう、定年の年齢をすぎ

そろそろ夢のために時間を使いたいと「SUR工房」を立ち上げる事にしました。